このブログは、子どもを持つ全ての保護者の皆さんと一緒に子供たちの未来を考えようという趣旨のもとに作成しました。もちろん、教育において唯一の正解などが存在しないことは自明です。我が子の未来を真剣に考える「あなた」の一助になれば幸いです。
「成長」の定義は何でしょうか。もちろん第一義的には「生物が卵から成体へと刻々と変化している間に、大きさ,重量を増していく現象」と辞書には載っています。子どもが日に日に大きくなっていく様(さま)は、ご両親にとっても嬉しいことでしょう。ただこれは、「生物としての成長」を意味します。
私たちは「A君も人として大きく成長したね」のように、「人としての成長」という、もう1つの成長を知っています。それは「できなかったことができるようになること」です。たとえば、「それまで挨拶ができなかった子が挨拶できるようになった」「お片付けできなかった子がお片付けができるようになった」等々、そうした変化を成長と捉えています。「逆上がりができなかった子が出来るようになる」のも成長です。別の言い方をすると、能力の向上と言ってもいいでしょう。そして私たち大人は、こうした子どもの「人としての成長」を尊び、促すことを求められています。勉強をするということは、まさに成長の連続です。書けなかった漢字が書けるようになる。解けなかった計算が出来るようになる。その一つ一つが成長の証です。
成長には2つの原則があります。1つは「成長が比例的には進まない」ということです。身長や体重も、年々1㎝ずつ伸びたり、1㎏ずつ増えたりすることはありません。ある時急に、年に10㎝以上伸びたりします。能力の成長も同じです。毎日、一〇〇mを十本ずつ走ったからといって、記録が毎日0.01秒ずつ伸びることはありません。なかなか記録が伸びない時期を、それでも諦めずに努力を続けたある日、突然記録が伸びたりします。その瞬間をブレイクポイントと呼ぶのですが、このブレイクポイントは努力を続ける者には必ずやってきます。ただやっかいなのは、いつそれが訪れるかが誰にも分からないことです。そのため、多くの人が途中で諦めてしまいます。諦めた人には永遠にブレイクポイントはやってきません。我々大人は、子どもたちが途中で諦めないように励まし、支え、力になってあげる必要があります。
もう1つの原則は、「成長は自分の意志と行動でしか実現できない」ということです。お母さんは栄養たっぷりの食事を用意することはできます。しかし、それを体内に取り込むのは本人の意思と行動です。子どもを馬にたとえることには躊躇しますが、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という格言があるとおりです。そこには本人の意思と行動が必要です。体育の教師がどれだけ熱心に指導しても、本人に熱意・意欲がなければ逆上がりができるようにはなりません。
学力も同じです。我々指導者が無理に知識を詰め込もうとしても、生徒にその気がなければ習得はできません。我々大人が「子どもの成長を促す」と言った場合、それは強制することではなく、いかに生徒本人が自ら行動するようになるかを考え、実行することです。塾という現場は、学力の面で子供たちの成長を促すことを目的としています。そのために様々な試行錯誤を繰り返し、様々な工夫が施されてきました。その結果、今では多くの形態の塾が存在しています。